田ノ実 Tanomi

七夕のルーツには3つの行事があります。星祭編

 七夕は日本と中国のいくつかの行事が習合して今のスタイルになったと言われています。一つ目には「麦や夏野菜の収穫祭」の意味があり、二つ目にはこれもまたお盆の前行事、「棚機(たなはた)(たなはた)」の神事を指します。三つ目には中国の技芸向上を願う「乞巧奠(きっこうでん)(きっこうでん)」という星祭の行事があります。この日がなぜ七夕(棚機(たなはた))と呼ばれるようになったかについては、いずれ書きたいと思います。

 天の川を隔てて七夕の日に年1度会うことを許された織姫と彦星の話を誰しも聞いたことがあるでしょう。織姫はその名の通り機織(はたおり)(はたおり)の大変上手な女性でしたが、彦星(別名牽牛(けんぎゅう)けんぎゅう)と一緒になってからは機織をしなくなったので、天帝(中国における万物を支配する神)の怒りをかい、天の川で隔てられた、という話です。年1度だけ会うことを許されたのですが、その日が七夕の夜なのです。

 「乞巧奠(きっこうでん)」は、この織姫、彦星の物語の物語から、機織りの上手な織姫にあやかろうと、裁縫や習字などが上達するよう、七夕の夜に願う行事として生まれたと言われています。日本に伝わったのは奈良時代の頃。梶の葉や金の針、五色の糸などを使った宮中行事で格式ばったものでしたが、次第に簡略化され、日本独自の習俗と習合していきました。
 江戸時代に入ると竹飾りも飾られるようになりました。はじめは五色垂らすだけでしたが、元禄頃から短冊をさげ、吹流しをつけるようになってきました。将軍家では二本の笹のついた竹を立て、五色の糸を張りわたし、色紙、短冊、梶の葉に自作の歌や古歌を書いてつるしました。これには学芸、書道上達の願いがこめられていました。

 葉竹は稲とともに本来熱帯植物であり、常緑です。正月の門松と同じく、神さまの依代(よりしろ-よりつくところ)とみなされました。 短冊は紙垂(神事のしめなわに垂れ下げる紙)の変化したものといわれます。なお、短冊と共に飾られる紙(かみ)衣(ころも)(かみごろも-紙で作った小さな着物)は、裁縫上達を願う意味だけではなく、棚機の行事との関連から、神に捧げる御衣の意味を持つものです。
 七夕祭りの規模が大きいのは仙台で、全国から観光客が訪れることで有名です。

監修:瓜生中

参考文献:
・宮田登『暮らしと年中行事』 吉川弘文館
・宮田登『カミとホトケのあいだ』 吉川弘文館
・ 山本三千子『日本人が知っておきたい和のしきたり』 三笠書房
・ 山本三千子『室礼おりおり』 NHK出版
・ 仙台七夕まつり ホームページ

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